輸送コストと集落の立地

2種類の輸送コスト

本業が厄介な状況になってきたので、こっちへ逃げることにした。今回は輸送コストとそれに伴った集落立地について論じる。
モノをある場所から別の場所に輸送するために必要なコストをモデルの中で表現するための方法は大雑把に分けて2種類ある。1つは何らかの決まった種類・量の物資を「輸送費」として支払わなければならないと考えることだ。これを「費用型」輸送コストと呼ぶことにしよう。今は食料と消費財を考えているので、例えば食料100単位を1km離れたエリアに移動させるためには、輸送コストとして消費財1単位を誰かに払わなければならないというような輸送費の形である。もう1つは、経済学の中で「氷塊型輸送費用」と呼ばれるもので、モノを1km移動させるたびに1%が(氷山が移動するにつれて溶けていくように)消滅していくという形の輸送コストである。
この2つは似ているようでいて、微妙に性質が異なる。一番重要なのは、前者は輸送に必要な費用が「コスト」として要求されるモノの価格に依存することである。例えば、市場のある都市から20km離れた場所にある農村を考えてみよう。この農村は今年大豊作で、明らかに食い切れない分の食料が生産された(つまり、自分でその食料をすべて食べてしまうという選択肢は存在しないとする)。当然この農村の住民は余剰の食料を市場に売りに行くと思いたいところだが、輸送コストが1番目の費用型を取っていて、食料100単位を20km輸送するためには20単位の消費財が必要だとすると、食料100単位の売り上げが20単位の消費財より安いなら、「輸送コストで足が出る」ことになるため、食料が安すぎると「余っていても売りに行かない」ということになる。この場合、下手をすると「農村では豊作なのに、誰も都市に売りに来ないため都市では飢饉になる」というようなことすら起きかねない。一方で、2番目の形の輸送コストを採用している場合、食料100単位を20km輸送するための費用は食料19.2単位くらい *1になる。要するに、食料が安くなれば「輸送コスト」もその分安くなるので、「余っているのに売りに行かない」というような種類の行動はそうそう起こらなくなるのである。
どちらの方が望ましいだろうか?これは場合によるのではないだろうか。先ほどのような「都市と農村」の例だと、「輸送コスト次第で食料を売りに来なくなる」というのは経済システムの安定性を損ないかねないので「氷塊型」の方が安全だろう。これに対して、遠くの国から贅沢品を買ってくるかどうか、というようなことを考えるのであれば、「輸送コストが高くなったので遠くまで売りに行くのはやめます」という選択肢が存在することはそんなにおかしなことではない。原油価格が高騰するたびに東京都民が隣県から野菜を買えなくなって飢え死にするのはちょっと困るが、アルゼンチンから羊毛のコートを買うのをやめたり、逆にアイスランド箱庭諸島を輸出するのをやめたりすることは十分「リアリティがある」と言えるのではないだろうか(ところで、箱庭諸島を輸出するために必要な「輸送コスト」とはいったい何だろう?)
現時点での構想としては、輸送コストは「近距離は氷塊型、遠距離は費用型」を採用することを考えている。理由は上述した通りであるが、どこまでを「近距離」とみなすべきかについてはまだ決めていない。

集落立地

輸送コストの導入はここまで考えてきた「コミュニティ」の立地を決めるための要素にもなる。例えば、農業や林業は土地自体に適性がない場所では難しいだろう。訓練された箱庭諸島プレイヤーなら都会の真ん中でコンクリートジャングルを切り倒してコンクリの塊を木材と称して売り飛ばすことなど造作もないかもしれないが、普通は林業とは木が生えている場所で営むものである。一方で、原料を買って消費財に加工して売る工房は結局労働力と生産に使う装置が揃えば稼働するので、「土地の適正」はあまり関係がない。むしろ、市場から遠いと上述したような輸送コストによるロスが大きくなるため、できるだけ都市の中心近くに工房を立地させたいところであろう。
この結果、自然と「都市の中心部近くに工房地区、周縁の肥沃な土地に農村、森林がある場所に林村」というような構造が生まれてくる。もちろん、この構造を無視して都市から遠く離れた場所に工房を作ってみたりしてもいいだろうが、不利な立地のコミュニティは生産効率が悪いため前回構想したような人口移動を通じてだんだん寂れていき、最終的に人がいなくなって閉鎖となるだろう。輸送コストの導入はこのような「自然な」コミュニティの立地構造を生じさせる上でも役に立ちそうである。

*1:食料を1km移動させるたびにその量が0.99倍になるので、20kmの移動の後には100単位の食料は  100 \times (0.99)^{20} = 81.8 単位くらいになっている。よって輸送費用は食料19.2単位となる。

所得と人口移動

財価格と所得

前回前々回の「消費の構造」の中では、各個人の「所得」は与えられているものとして話を進めたが、所得自体経済システムの中で決定されるものである。今回はこの「所得の決定」と、関連して人口移動についての構想をまとめたい。
初回に紹介したように、今考えている経済システムの全体(「都市」と呼んでいる)は、「農村」「林村」「工房」といったいくつかのコミュニティに分割されている。各コミュニティは労働力(や、中間投入財)を消費して何らかの財を生産している。経済学の典型的なモデルでは、労働者はこれらのコミュニティの間を自由に移動でき、したがって賃金はどこでも一定になる(そうでなければ、賃金が一番高い職場以外では誰も働こうとしない)。しかし、この都市のコミュニティ間の移動には障壁があり、したがって賃金はどこでも一定になるわけではない。消費財を生産する工房の職人は高い給料をもらって豊かな生活をしているが、農村の住民は貧しい、ということが起こり得る(したがって、「格差」をシミュレーションの中に持ち込むことができる)。それぞれの得る所得(=賃金)は単純にそのコミュニティが生産したものがどれだけの(消費財で測った)価格で売れたかによって決まるが、個別に言えば次のとおりである。

農村

農村では年に1回収穫があり、農村の住民は基本的にはそれを毎期少しずつ売って生活の糧を得る。1年が何ターンで構成されるかは未定であるが、例えば12ターンで1年であれば、秋の収穫を毎期12分の1ずつ売り、その売り上げ(を、その農村の住民の数で割った額)がその農村の住民の所得になる。農村は食料と工房が消費財を生産する際の原料となる「商品作物*1」の2種類を生産するので、それぞれの売り上げの合計を所得として得る。農業が不作であれば所得は少なくなるし、農業が豊作であれば食料価格が暴落するのでやはり所得は少なくなる。なんということだ*2

林村

林村は季節に関わらず毎期一定の木材を生産する。木材の需要は人口の増加率(つまり、住宅供給の必要とされる程度)に依存するが、いずれにせよ生産された木材の売り上げが所得になる。

工房

工房は、商品作物を加工して消費財に変換し、それを売って所得を得る。ただし、原料として商品作物を購入しないといけないので「所得」として工房の住民自身の懐に入るのは消費財の売り上げから原料の購入にかかった費用の差分(付加価値)だけであることに注意されたい。

大工

この手のシミュレーションゲームで、「建設」はかなりの程度「プレイヤーの指示」によって決まることが多い。プレイヤーがしょっちゅうコマンドを入力して建設を進めれば大工は「多忙」になるが、そうでなければ暇になるだろう。したがって、建設に対応して所得が決まる仕組みを採用すれば、大工の所得はかなり不安定になりかねない。したがって、大工は一種の「公務員」であって、(政府あるいは王様であるところの)プレイヤーが設定した額の所得を毎ターン必ず受け取るとして考える。プレイヤーは民間(農村・林村・工房)から「税金」を徴収し、大工の給料として(建設があろうがなかろうが)払うことになる。
ただし、人口の増加に合わせて各地で住宅供給が必要になるので、人口が安定して増加しているのであればプレイヤーが指示を出さなくても大工には「最低限」の仕事があることになる。

人口移動

各コミュニティの労働者の所得は前節で考えた通りであるが、ほとんどの場合において特定のコミュニティは他のコミュニティより多くの所得があることになる。一例として、工房の所得が農村の所得より高い場合を考えよう。この場合、農村の住民は「羨ましい」ので、少しずつ工房に移住していく。工房の「住宅(=職場)」が余っているなら、農村から移住してきた住民は工房のより給料の高い仕事にありつけることになるので、この人口移動は続く。ここで、工房の住宅がすべて埋め尽くされたとすると、人口移動は止まるだろうか。止まらない。例えば工房の所得が農村の所得の3倍だとすると、工房で働ける「確率」が3分の1より高いのであれば工房の方が所得の期待値が高いことになるため、このような状態になるまで人口移動が続く。最終的に、工房の人口が本来のキャパシティの3倍に達した時点で人口移動は停止する。このとき、工房の住民の3分の2は失業していることになる*3
失業者が存在するコミュニティは周りと比べて就業者の所得が高い(つまり、そこで作られているものの需要が多い)ということになるので、住宅=職場を増設して失業者を減らそうとする。こうして、需要の多い財を生産するコミュニティは自動的に拡張されていき、逆に需要の小さくなったコミュニティは規模が縮小していく。(食料不足による飢餓が起こっているわけでなければ)都市の人口は自然増加で増加していくが、このような人口移動の影響の方がはるかに大きいだろう。
なお、「大工」はプレイヤーが決めた額の給料を毎ターン支払われるので、例えば農村で大不作が起きて所得がガタ落ちすると、就業希望者がぞろぞろプレイヤーの下にやってくるということになる。上述の通り「住宅」からはみ出た分の住民は失業者になるので、プレイヤーが「大工」の賃金管理を間違えると失業者を量産する原因になり、かえって不景気を悪化させかねないのである。

*1:初回の記事では「綿」と書いていたが、衣類を消費財に変えたのと同じように、一般的な表現にするため商品作物と呼ぶことにする。

*2:もちろん、本当にこうなるかどうかは食料価格の供給に対する反応の高さ次第である。

*3:この人口移動原理は開発経済学のハリス=トダロモデルを参考にしている。

消費の構造(2)

「効用」の話

(今回は完全に数学の話なので興味のない方は読み飛ばしてください) 引き続き、「食料  F 」と「消費財  C 」の2種類を消費する個人の消費構造について、前回導入したそれぞれの財の間の「相違点」を踏まえながら考えていく。経済学的には、各個人は2種類の「財」を消費することによって「効用(うれしさ)」を得るので、与えられた予算と価格をもとに「効用」を最大化する消費量を選ぶことになる。この「選び方」は効用を決めるための関数の形状によって異なる。極端な例として、ある人の効用関数として  U = F を考えると、この人の効用は「食料だけに依存し、消費財はいくら手に入れてもうれしくない」ということになる。結果的にこの人は全財産を食料の購入に費やす。
学部レベルの経済学でよく使用される「効用関数」は次のようなコブ=ダグラス型と呼ばれる効用関数である*1


U = F^{\alpha} C^{1-\alpha}, 0 < \alpha < 1

所得  I と食料価格  p_F消費財の価格を1に基準化している)が与えられたとき、この関数を効用関数として持つ個人の最適な消費量は(ちゃんと解こうとするならラグランジアンを書いたり微分したりした上で)次のように求められる。


F = \dfrac{\alpha}{p_F} I, C = (1-\alpha) I

この効用関数からは、前回考えた消費の構造とは異なる形の消費が得られることが分かる。

ホモセティック関数とその問題点

前節で書いたような(経済学でよく用いられる)「コブ=ダグラス型効用関数」を今考えている消費構造を決定するために採用しなかったのには理由がある。数式を使わずに言えば、この効用関数を持つ個人は食料と消費財の消費量を次のような基準で決定する。つまり、「所得のうち  \alpha の割合を食料に、残りの  1 - \alpha の割合を消費財に使用する」。  \alpha = 0.5 で、食料価格が  1 (つまり、食料と消費財の価格が同じ)の場合を考える。このとき、所得が100万円の人は50万円分の食料と50万円分の消費財を消費し、所得が1億円の人は5000万円分の食料と5000万円分の消費財を消費することになる。これが、前回の最初に書いた「食料と消費財の相違」のうち、1つ目「食料は1人の住民によって一定水準以上には消費されないが、消費財は『あればあるだけ望ましい』」をうまく表すことができていないことはお判りいただけるだろう。今考えている経済システムでは、「所得がある程度増えると食料への消費は止まり、余った所得はすべて消費財に振り向けられる」という形の消費構造を作りたいのであって、「どれだけ所得が多くても所得の一定割合を食料に使う」結果になってもらっては困るのである。
コブ=ダグラス型効用関数をはじめとする経済学でよく用いられる関数は、「所得が1%増えると、すべての種類の財への消費が1%増える」というような性質を持っており、このような関数を「ホモセティック関数」と呼ぶ。この性質は実証研究をする上での利便性はあるが、今考えているような経済システムを考える上であまり好ましくない。

不可欠な財と不可欠でない財

「コブ=ダグラス型」の問題点はもう1つある。最初の節に書いた関数の定義式に  C = 0 を代入すると  U = 0 になることが確かめられるだろう。つまり「消費財の消費がゼロになると、個人の効用もゼロになってしまう」ということである。効用がゼロになる場合は、この人は死んでしまう、と考えていいだろう。この結果は前回の「食料と消費財の相違」の2つ目前半、「消費財はなくても『不愉快』なくらいである」とつじつまが合わない。このような性質がなぜ問題であるかというと、将来的に「消費財」の種類を差別化して、「自動車」とか「ワイン」とか「箱庭諸島」とかの様々な種類の商品が作られ、それぞれが取引されるような状況を考えるとき、各個人は「全部の種類が無いと死んでしまう」と仮定していることになってしまう。たぶん、多くの人は食事がないと死ぬだろうが、箱庭諸島がなければ死ぬということはないだろう*2。このような「無くても死なない財」を考えるためには、このような構造は問題なのである。
ある種類の財の消費量を  x と書くとき、  x = 0 なら  U = 0 であることを  x不可欠(essential)であるという。そうではないときに不可欠でない(inessential)という。今考えている経済システムにおいては、食料は「不可欠」だが、消費財は「不可欠でない」ことが求められていると言えそうである。このような仕組みであれば、「食料が無ければ人は死ぬが、消費財が無くても(食料があれば)人は死なない」という性質を表現することができる。

まとめ

経済学でよく使われるような関数を「効用関数」として用いなかった理由は、次のような性質が経済システムに欲しかったからである。

  • 効用はホモセティックではなく、食料への消費額は所得が増加すると減少する。
  • 食料は不可欠な財であるが、消費財不可欠でない財である。つまり、食料がないと効用はゼロになるが、消費財が無くても効用は(食料があれば)ゼロにはならない。

前回「次回の内容」とした「食料価格が無限になる問題」とは全然関係ない話だったが、記録しておくべき論点であると思ったので記事にしておいた。たぶん経済学に興味のない方には全く面白くない話だったと思うので、それは反省している。

*1: \alphaは「ゲームの中の個人」が決めるわけではなく、我々が勝手に与える。例えば0.5とかを想像しておいてほしい。

*2:このブログの読者は箱庭諸島がなければ死ぬかもしれないが、それはそれとする。

消費の構造(1)

食料と消費財

前回構想したように、「経済システム」の最低限の設定として食料と消費財*1を考えることにする。この経済の中の住民はこれらを消費するし、「これらを消費することを目的に」生産その他の活動を決定する。これがこのシステムの根幹となる。食料と消費財は単に「別種の商品」であるだけではなくて、次のような重要な相違がある。

  • 食料は1人の住民によって一定水準以上には消費されないが、消費財は「あればあるだけ望ましい」*2
  • 消費財はなくても「不愉快」なくらいであるが、食料が決定的に足りない場合、これは飢餓を招く。

そういうわけで、消費の構造に関する最初の案として次のようなものを考える。ある個人の所得水準  I 、食料価格  p_F消費財価格  p_C を所与とすると、 その個人の消費量は
 I \leq p_F のとき


F = \dfrac{I}{p_F}, C = 0

 I > p_F のとき


F = 1, C = \dfrac{I - p_F}{p_C}

となる。これは数式を書くほどでもないが、要するに個人の行動は「1単位の食料を消費できるようになるまでは所得をすべて食料に振り向ける」「1単位の食料を消費できるようになったなら、残りの所得はすべて消費財に割り当てられる」という2つのルールにしたがうということである*3。なお、消費財を価格を計測するための基準(ニュメレール)として採用すると、上記の数式から  p_C = 1 が消えてさらに分かりやすくなる。
もちろん、上記のような基準で決定される個人の行動をすべてシミュレートするためには各個人の所得がすべて必要であるということになるが、各「ムラ」ごとに所属する個人の所得は一意に定まるような仕組みを採用するので、個人の数だけ所得を考えるようなことにはならない。

食料不足ー飢餓

ある個人の所得が1単位の食料を消費するに十分な場合、その個人の「食欲」は満たされていることになる。逆にその個人の所得が食料価格に満たず、1単位の食料を消費できない場合は「飢餓」が起きているということになる。よくある設定の場合、住民は食料がある限り「満量」(この場合1単位)の食料を消費し、備蓄食料を全部食い尽くした時点で大騒ぎを起こすが、このシステムではもう少し「段階的な」変化が起きる。まず、食料が何らかの理由で供給不足になると、食料価格が上昇し、各個人の所得が食料を「満量」買うために不十分になる。すると、所得が足りなくなった各個人は食料消費を控えるようになるため、食料の需要が低下する。一方、食料の供給者(農村)は食料価格が上昇したことを受けて食料の市場への供給量を増やす。その結果、ある段階で食料の需要と供給が釣り合い、食料の需給は(各個人が「満量」消費することはできない状態で)落ち着く。
食料が「満量」消費できない状態になっている場合は「飢餓」が起き、人口が減少したり、食料を求める住民の暴動その他の悪いイベントが生じたりする。この手のイベントの「強度」も食料がどの程度不足しているかによって変化させれば、「昨日まで何も起きていなかったのにいきなり暴動で国が滅ぶ」系の大事故も防ぐことができるであろう。プレイヤーは食料がちょっと足りなくなった時点で介入できるし、市場システム自体が備蓄食料が「食い尽くされる」以前の段階で食料需給を安定させる方向に反応することは上述した通りである。

問題点

ところで、上述した食料&消費財の需要システムには1つ欠陥がある。所得が食料1単位を消費するために必要な水準を下回る場合、この個人は消費財を全く需要しなくなる*4。したがって、消費財の価値で測った食料の価値は  \infty ということになってしまう。この状況がこのシステム内のすべての個人について満たされるならば(食料が経済システムの中のあらゆる場所で足りていないなら)、食料の価格はいくらでも上昇し続けることになるし、消費財の生産者(前回の図では「工房」の住民)は究極的には所得を全く得られないことになってしまう。これは、システムの安定性を損ねる危険性がある。次回はこの点について検討する。

*1:前回は「衣類」と呼んでいたが、衣類に固定して考えるのはいろいろと問題がありそうなので、まとめて「消費財」と呼ぶことにする。

*2:もちろん、豊かな経済であれば食料に対する消費額も多くなるだろうと思われるが、そのような「贅沢な食糧」は消費財に含まれるものとして考えることにする。

*3:経済学のモデルでは最初に「効用関数」を設定し、その効用を最大化するための消費を計算した後で上記のような形の「需要関数」が導かれる。ここで書かれた需要関数も背後にはこのような効用最大化が存在すると考えることができる。

*4:経済学的に言えば、消費財の限界効用がゼロになる。

経済システム

コンセプト

経済シミュレーション系のゲームは、基本的に「何かをして、お金を稼いで、稼いだお金でまた何かをする」というシステムになっている。ゲームの目的が明確になるし、都市開発シムのような「外からカネが入ってくる」ことを正当化できるゲームであればそれでもかまわないだろう。しかしながら、一国経済全体をシミュレートするゲームを作る際の基礎的な仕組みとしてこのような「何かをすれば、それだけでお金が生えてくる」形式を採用することにはどうも根本的に問題があるのではないかとずっと感じている。(外部との貿易を考慮しなければ)一国経済において意味があるのは食料や商品などの「現物」だけで、「お金」というのはそれらの価値の比率を表示するためのものでしかないというのが本質ではないだろうか。つまり、一国経済全体を統括するプレイヤーが目標とすべきなのは、その国民がどれくらい「モノ」を消費でき、豊かな生活を享受しているかであって、「国庫の中に入っているお金」という目盛りを押し上げることではないのではないか。
また、「何かをするとカネが生まれる」経済シムの問題点として、どうしても開発終盤になると「カネ余り」の問題が生じる。使い道のなくなった「資金」がプレイヤーの財布の中にうずたかく積もっている光景は、このブログを読んでいる方なら誰しも一度は経験したことがあるのではないだろうか。この問題も、ひとえに「何かをすると、何でかわからないけど無から『現金』が生成される」ことに由来するように思われる。要するに、無から金が生まれることがそもそも一国経済をシミュレーションするための設定として妥当ではないのではないか、ということである。

経済システムの構想

経済システム

経済シムの中の「住民」のニーズとしてどれくらいの範囲のものを採用するかは要検討だが、とりあえず一番単純でそれらしい「衣食住」を採用することにしてみる。人々は家に住んで、メシを食い、服を着る。これらを満たすための最低限の設定として、食料(と綿)を生産する農村、綿から衣類を生産する工房、木材を生産する林村、木材から住宅(と職場)を生産する大工の4種類の職場が設定される。農村と林村は中間投入財を必要としないので第一次産業、工房と大工はそれぞれ綿、木材を中間投入財として消費するので第二次産業というわけである。
各職場は居住地を兼ねている(「通勤」という概念はここでは考えていない)。例えば農村に住む住民は全員農家として働き、食料と綿を生産する。一方で、農村の住民だからといって服を着ないわけでもないし、家が要らないわけでもないので、市場に食料を売った後でその所得に応じて食料・衣類・住宅を購入することになる。そのような挙動を実現するために、経済システムの中央には「市場」が存在していなければならない。この「市場をハブとして周辺に職場を兼ねたムラが広がっている」という形を経済システムの基礎としたい。
将来的には1人のプレイヤー(国家)が複数の都市を管理し都市間で交易が行われるだとか、他のプレイヤーの都市と貿易を行うだとかいったより広域の経済圏についても設計をしていきたいところであるが、とりあえず経済システムの一番基礎的なセッティングはこの「衣食住を必要とする住民、特定の物資を生産するための職場、それらの取引のための市場」ということになる。この中には「カネ」という概念は(取引のための物資間の価格比という形以外では)存在しないし、住民が豊かになれば最終的には住民が物資を消費する量も増える*1ので、モノが「余る」ことはないということになる。

市場システム?

この手の設計が経済シムであまり試みられてこなかったのは、おそらく「市場」のシステムの設計が難しいからではないだろうか。需給に合わせて価格を調整する仕組みをうまく設計できなければ、例えば市場にある食料を全部食いつぶして飢餓が起きるまで食料価格が不適切に「安い」ままとどまっているとか、そういうことが起きそうに思われる。これを解決できるような市場システムはこれから考えるが、1つ参考になりそうなのは(もうなくなってしまったが)箱庭諸島海戦(hakojoyや共有箱庭諸島の系列)における「豪華客船タイタニック」の仕様だと考えている。
箱庭海戦は食料と資金しか物資がなかったが、各島の備蓄食料と備蓄資金の比率を比較して、相対的に備蓄の多い物資の価値が低くなるように食料価格を(食料1万トン当たりの価格という形で)決定していた。A島がB島に「タイタニック」を派遣すると、B島の食料レートがA島のそれより安ければ一定量の食料を買い、高ければ売るという形で取引を行う。結果、どちらの場合でも食料の余っている島から足りない島に食料が移動して、両島の食料備蓄は平準化される方向に動く。なお、自動的な市場システムに考えられる「事故」の一例として、ある島で食料がちょっと安くなった瞬間にすべての食料が外国に自動的に買い取られてしまい、次のターンに価格調整が行われるのに間に合わず飢餓が起きる、というようなケースも考えられる。箱庭海戦の「タイタニック」は1隻当たりの食料取引量はそれほど多くなく、1隻1隻の取引ごとに食料レートが再計算される仕様になっていたようであった*2ため、最初の数隻が食料を買い取った時点でその島のレートが上がる、という形でこのような「価格調整が間に合わない」事故を防ぐことができていた。これはきわめて単純な仕組みであるが、プレイヤーが介入しなくても市場がきちんと回るような形になっており、箱庭諸島における「市場システム」の1つの成功例と言えるではないだろうか。ちなみに、少額の取引ごとに市場価格が反応して、「安い瞬間に買い占める」ことができないような仕組みはStellarisの市場システムにも採用されているようであったが、取引そのものは自動ではなくプレイヤーが命令を出す必要があったように思う。
上記のような「成功例」を参考にしながら、「機能する」市場システムを作成していくことを当面の経済システム設計の目標としたい。

*1:ただし、所得が10倍になったからといって食料の消費が10倍になったり住む家の広さが10倍になったりするとは考えられないので、より豊かな経済は最後の1つ(「衣類」)の消費に次第に重みをシフトさせていくと考えられる。その意味で、衣類は食事や住居といった「生きるための必需品」以外の商品全般を代表しているとも考えられるので、「商品」といったより抽象的な表現に改めるべきかもしれない。

*2:直接仕様を確認したわけではないが、同じターン中に異なるレートで食料が取引されるのは頻繁に見ることができた。